- トップページ
- 旅のプラン
- 体験記一覧
- 学生・若者グループ体験記
- 体験記【8】
男女”3人”卒業旅行体験記
★男女”3人 ”卒業旅行体験記です ! ★
【8】2011月3月上旬 男女3人の旅 3名様
「キャンピングカー(モーターホーム)の旅」
(モーターホーム 8泊9日 C-25タイプ ご利用 全日程 9泊11日)
★当日アップグレードになり、一回り大きいサイズの車種をご利用いただきました。
●ルート
ラスベガス ~ ルート66 ~ グランドキャニオン ~ アンテロープキャニオン、レイパウエル
~ ブライスキャニオン ~ ザイオン ~ ラスベガス
★ はじめに・・・
私は24才の大学院生でした。今回、大学院の卒業旅行にキャンピングカー(モーターホーム)をレンタルしてグランドサークルを満喫する旅行をすることができました。
事前の準備が不十分であったり、様々なトラブルに見舞われたため、当初の予定のようにグランドサークルを1周することはできませんでしたが、一生の思い出になる卒業旅行をすることができました。これはひとえに、トラベルデポ小林さんと現地日本人スタッフのサムさんのおかげだと思います。
その感謝をお返しする気持ちで「ありのまま」に私たちのキャンピングカー(モーターホーム)珍道中についてご報告したいと思います。また、これを参考にして多くの大学生が、できるだけ早いうちにアメリカ旅行をするきっかけになればいいなと思います。
なぜなら、もっと早くこの旅を経験していれば大学生活の過ごし方がまた少し違う意識の下になっていたのではないかと今、思うからです。稚拙な文章ではありますが、個人的な視点からになっていますが、お時間を割いて読んで頂けたらと思います。
それでは、いざ、ラスベガスへ出発です! ※ 以降、現地時間で記していきます。
■ 1日め ~国境の長いフライトを抜けるとアメリカであった~
私たちは男2人、女1人の計3人の研究室の同期で旅をした。全員の英語の能力はTOICE350~500点程度だったが、行けばなんとかなるだろうと脳天気に考えていた。また、旅行プランも行く前日と前々日に相談して行きたい所を言い合って道順を決めたという簡単なものであった。事前に予約をとったのは1泊めと2泊めのRVパークくらい。さぁ、このラフな感じでどうなっていくのか…。
不安と期待に胸を膨らませながら、現地での出会いに少し期待して、成田空港に集合し、昼過ぎに搭乗して出発。デルタ航空にてロサンゼルス経由でラスベガスに行くルートを選択した。離陸するときの挨拶から英語。乗務員さんもみんな外国人。さすがのデルタ航空。むやみに緊張してしまった。
ジュースをもらうのも一苦労。これは大変な10時間になりそうだ。そう思ったときに救いとなったのが、旅行中のとっさのEnglishみたいな旅行本。このコラムに乗務員さんにはとにかくお礼を言おうと書いてあったので、飲み物をもらったときに「サンキュー」と言ったら「You’re welcome!!」とのやりとり。その後、少し優しくなった気がした。
機内食の夕食は写真の通り。結構くどくて少し具合悪くなったので、無理して全部食べなくてもよかったと後から思った。
睡眠でなんとか時間を潰して、約10時間後にロサンゼルス空港に到着。ここで、乗り換え。たまたま、前を歩いていた日本人のおじさんについて行き、無事に乗り換えを済ますことができた。小型飛行機に乗り換え、そこから約1時間程度でラスベガスに到着!いよいよ、降り立った私たちが見たのは空港内に広がるスロットマシーンコーナーと色鮮やかな電光掲示板だった。
空港でサムさん(現地日本人スタッフの方)との待ち合わせだったのですが、姿が見当たらないなーと不安に思いながらウロウロしていると、スロットの陰に佇んでいた日本人のおじさんにいきなり話しかけられた。それがサムさんでした。
気の良さそうな普通のおじさん。早速、車に案内され、サムさんの運転でクルーズアメリカへと移動。窓の外の風景に興奮し、右車線を走る車に違和感を覚えながら、車に揺られること20分でクルーズアメリカのオフィスに到着。そこでは太った陽気なおっちゃんが出迎えてくれた。ついに、ここでアメリカ人と初めてちゃんと話すことになったのだが、正直早すぎてほとんど聞き取れなかった。
サムさんの通訳のおかげでなんとか手続きを済ますことができた。おっちゃんは「Hey!You are Lucky boys!! Today is specialday!!!」みたいなことを言っていたので「イエーイ・イエーイ・サンキュー」みたいに適当に受け答えていたら、なんと車のサイズが当初の予約していたサイズから無料でワンランク上になっていた。
そのとき、私は「ラッキー♪」くらいにしか思っていなかったが、他の2人はどちらかというと、「サイズアップしなくていいのに」と思っていたようだ。と言うのも大きくなったことで、運転が困難になったり燃費が悪くなったりするからだ。
そんなこととは露知らず、サイズアップを訳も分からずに快諾し、車内をチェック!だいたい、OKだったのだが、メインのエアコンの暖房が入らなかった。それについてクレームをいれたのだが、その日は暑く、「これは車内が既に30℃以上あるから入らないんだ」と説明され、そういうものなのかと納得し、いざ、モーターホーム出発!となる。
しかし、こんな大きな車どうやって運転するんだ?しかも、異国なのに…と躊躇しているとサムさんが「クルーズアメリカのオフィスの周りを1、2周して慣れたら出発しましょう」と提案。おそるおそる運転すると、車体がかなり長くて運転しずらかったが、なんとか運転はできた。
そこから、とりあえずスーパーマーケットへ買出しすることになり、サムさんが運転する車についていくという形で出発。おそるおそる、かなりゆっくりめのスピードで運転した。道順と標識と右折のルールさえ分かっていれば、日本で運転したことがある人は運転できると思う。でも、市内はちょっと注意が必要かも。
スーパーマーケットは日本とは比べ物にならない規模でとても楽しかった。つい、調子にのって1週間分ほどの食料を買い込んでしまう。この時もサムさんは買い物にずっと付き合ってくれ、当初の約束の時間をすぎても一緒にいて様々なアドバイスをしてくれた。
買い物を終えて、1日めの宿として予約してあったサーカスサーカス KOA RVパークに向けて駐車場をでようとしたところ、キャンピングカー(モーターホーム)のガソリンが満タンでないことに気付く。当初のレンタルの約束では満タンで借りて満タンで返すということだったのに…。
そのことをサムさんに伝えるとクルーズアメリカのオフィスに連絡をとってくれ、満タンで返さなくてもいいということを聞いて教えてくれた。その後、サムさんに給油方法を教えてもらって給油し、さらにはサーカスサーカス KOA RVパークまで先導してもらった。とっくに約束の時間は過ぎていたのに…ありがとうございます、サムさん。
無事、サーカスサーカス KOA RVパークについて、会計も拙い英語で済ませ、一息。
RVパークでは電源や排水溝などを接続するのですが、それも簡単に済ますことができた。また、バックするときは必ず誰かが外にでて誘導して安全に駐車をした。また、キャンピングカー(モーターホーム)の車内は快適に過ごすために土禁にした。
さて、一息ついたらお腹が減ってきた。今日はせっかくラスベガスにいるのでバイキングにいくことに。サーカス サーカス KOA RVパークのすぐ横にはサーカスサーカスのホテルとカジノもあり、そこのバイキングがリーズナブルとガイド本に記されていたので、出陣。ホテル内のカジノを抜けた奥にバイキングがあったのだが、まず、アメリカ人は皆、体が大きいことに驚いた。
バイキングをとってきて一口食べてまたびっくり。なんて大味なんだ…。ものすごい味の濃さ。チェリーパイにいたっては欧米か!なんていう余裕もなくノックダウン!でも、いい経験になりました。
これはあとで分かったことだが、現地の人からしたらサーカスサーカスのバイキングはあまり行く気にならない激安のバイキングみたいな位置づけだったようだ。このまま終われるかということで、夜のラスベガスに繰り出す、歩きで。
至るところでショーをやっていたり、証明が美しかったり、建造物のスケールがでかかったり。サーカスサーカスからべラッチオくらいまで歩いてヘトヘトに。でも、素晴らしい噴水のショーが見られたし、ラスベガスの雰囲気にも触れられたのでよかった。帰りはなんとかバスを使い、サーカスサーカス KOA RVパークまで帰る。結局、寝たのは日をまたいだ少し後だった。
サーカスサーカス KOA RVパークは夜もシャワーを使えたのでよかった。また、寝る場所についても争奪戦になったことは言うまでもない。
■ 2日め グランドキャニオンへの不安定ドライブ
朝、早起き…。寝るのが遅かったせいと時差ボケなどですごい疲れを感じる目覚めだった。渋滞にはまる訳にはいかないので、早々に朝ご飯を食べ、出発。運転は1・2時間のローテーションで交代しながら行なったが、ハイウェイはたまにでこぼこ道もあってたまにヒヤっとした。
また、大きいことから道路上で左右の幅がうまくつかめなく、よく白線からはみ出たりしてしまった。途中、小さな街を通り、スーパーマーケットで昨日買い忘れた用品を買い出した。また、丁度、昼飯どきだったのでそのスーパーマーケットの駐車場でサンドウィッチを作って食べた(本当は駐車場ではこういったことはしてはいけない。笑)。
慣れない運転や昨日の疲れが抜けきらない睡眠だったせいで、少し険悪なムードを醸し出していた私だったが、おいしいご飯によってなんとか持ち直すことができた。
この移動はグランドキャニオンを目指していたのだが、スーパーからでたときに方向がよく分からなくなり、少しだけ迷った。やはり、下調べは前日から必要であると感じた。また、ラジオが入らないところもあり、運転しながら音楽を聴きたくても聴けなかった。CDとか何か持っていってもいいかもと思った。
道路が登り坂になってくると、いよいよグランドキャニオンの看板が見えてきた。もう少し進むとグランドキャニオン公園のゲートに到着。このとき、キャンピングカー(モーターホーム)のサイドミラーが料金を払うところにぶつからないように気を付けたほうがよい。もう日が落ち始めていたので、急いで案内所へ。そこで夕日の時間をチェック。
掲示板によると18時45分にサンセットで、このときの時間は17時30分頃だったので、間に合った、よかったということになって、運転の疲れもあったので、案内所で日本語のガイドをもらって社内に戻り一息つくことに。少し休んで外を見るともうかなり暗くなってきている…おかしいぞ。そこで気づいた!グランドキャニオンの地区ではサマータイムが適用されている、つまり時計を1時間進めておかなければならなかったのだ!
大急ぎでバスに乗り、ビューポイントへ。このとき、バスの乗り違いなどもあってグダグダになったが、その壮大さはその場に行かないと感じられないスケールだった。是非、一生に一度は行って欲しい。もしくは人生で困難な壁にぶつかったときなどにも。
感動しながら、キャンピングカー(モーターホーム)に戻り、予約してあったグランドキャニオン内のRVパークへ。ここのおっちゃんが陽気でいい人だった。ステーキを焼きながらビールを飲んで明日の予定を相談。ハードスケジュールをこなすよりも行きたいところをじっくり見ていこうという旅の方針が決まる。ステーキは固かった、ビールは染みた。
私はドコモの携帯を持っていったのだがグランドキャニオン内では圏外だった。また、ネットが繋がるのはパーク内のカフェテリアだけだったので、本で作戦を立てながら、今夜は早く寝ましょうと言いながら、少しグダグダしながらグランドキャニオンの夜は更けていく。
寝るとき、あまりの寒さに暖房をつけるがクルーズアメリカのオフィスで問題になった暖房がつかないという問題が発生。仕方ないので持ってきた防寒具を着込んで就寝。
■ 3日め 日本人なのに、日本にいないことの大きさ
とても早い時間に起床。日の出を見にビューポントに出発。日本の長野の冬の朝と同じくらいの寒さだった。スノーボードウェアくらい持っていけば十分でしょう。日の出の美しさは素晴らしかった。徐々に光が差し込んでいくグランドキャニオンの雄々しさも肌で感じられてとても良い景色だった。
また、気になったのが日の出を見に来ていた観光客は沢山いて少し雰囲気はなかったことと、そのほとんどが日本人だったこと。なんでも日の出に興味があるのは日本人くらいなものだそうだ。
そこでツアーで来ていたおばちゃんと話していると「今朝のニュースを見たか?」と聞かれた。もちろん、モーターホームにはTVはついていなかったので見ていないと答えると「1、2時間前に東北や関東のほうで結構大きな地震があって大変みたいよー」との話を聞く。それほど深刻そうではなかったのでそうですか、あとで確認してみますね、くらいの感じでモーターホームに戻り、朝食をとる。
私は出身地が茨城で、旅行しているメンバーの一人が東北出身だったこともあって、地震のことが気になりカフェテリアにネットを使いに行く。PCを持ってきて本当に良かった。そして、Yahoo Japanを見るとそこには信じられない情報が載っていた。この時点では死者100人程度、行方意不明者400人、阪神淡路大震災の180倍の規模の文字。凄まじい地震の被害が報告されていた。
家族、友人たちの安否がすごく心配になる。しかし、携帯電話は通じない。公衆電話から国際電話をかけても繋がらない。Gmailで家族や恋人、友人の携帯電話のメールアドレスにメールをして連絡を急ぐ。各地方自治体の被害状況報告の死者数などを確認する。
そうこうしている間に膨れ上がる死者数。募る不安。そして、大津波という予想していなかった災害。ニコニコ動画などであげられた動画を少しだけ見たが絶句した。見るのをやめた。余計、不安になるから。ただひたすら連絡を待った。しばらく体の震えがとまらなかった。
数時間後、家族や恋人、友人から連絡が帰ってきた。家族からのメールには安心してくれとあった。ただ被災地は甚大な被害があるとのこと…。恋人からのメールは心労がみてとれた。まるで現実じゃないみたいだと。自分が日本にいないことの虚無感を強く感じた。ここで何をやっているのだろうかと、大事な人の大変なときに傍らにすら居られない自分とは何なのだろうか。無言で昼食をとる…。
会議をすることに。これから、どうするかについて。出身地が東北であったメンバーはまだ家族の内の一人の安否が確認できていなかった。まずはその安否を確認するまでグランドキャニオンに留まろうということになった。ここから下手に動いても、他の街までうまく移動できるかも分からないし、ネットを使える環境に必ず行けるとも限らない。そして、もしもの時は一刻も早く何とかして帰ろう。しかし、安否が確認できたらこのことを頭に刻みながらこの旅を続けよう。それが私たちの答えだった。
時差のせいで(10時間の時差によってアメリカでお昼の時は日本では深夜)うまく連絡がとれない。モーターホームにいても不安に押しつぶされそうになるだけなので、軽くトレイルにでかけた。今度こそ、しっかりと夕日をみた。こうしている間に日本ではさらに大きな災害が起きているかもしれない。それなのに、自分は別の場所で被害を受けず、夕日を見ている。そして、この夕日は昨日と同じように綺麗なのだろう。
日本では大変なことになっているのに。ある場所では考えられましなかった大変なことが起きているのに、ある場所ではいつもと同じように時が流れている。不思議な気持ちになった。恐くなって足がすくんだ。
でも、たぶん、こういう無情なことが常に世界の各地ではちぐはぐに起きて、世界は回っているんだろうと感じた。営業時間が終わる1時間前にカフェテリアへ行き、情報確認。津波による死者多数、死体が道路に多く投げ出されているとのニュース。背筋が凍った。原発に不具合が生じたとの漠然としたニュース。不具合とは何なのか?長野でも大きな地震。いったいどうしてしまったんだろう。
不幸中の幸いというか、東北出身のメンバーの家族全員の安否が確認できた。自分にとって大事な人の「大事さ」というものを痛感できた日。もうお願いだから何も起こるなと祈りながら、グランドキャニオン内のRVパークで床に就く。
■ 4日め グランドキャニオンは語る、自然の大きさと人間の小ささを
朝9時頃に起きて朝食をとり、情報収集のため、カフェテリアへ。枝野さんの目の下のくまがどんどん濃くなっていた。国際電話を何度も何度もかけた結果、恋人と少しだけ話すことができた。話し合いをして、私たちは旅を続けることに決定した。
予定が大幅に遅れて昼過ぎからになってしまったが、ブライスエンジェルでトレイルにでかけた。3月でも寒いせいかまだ雪があった。私は登山靴を持っていったのだが、雪道用ではなかったのでかなり滑り、ものすごく歩きづらかった。雪は多くの人がトレイルしたあとで固まっていて表面がツルツルしていた。
トレイルをするとグランドキャニオンへの印象が一味も二味も変わった。トレイルをしながら見るグランドキャニオンは大きくどっしりとしていた、昔からそこにあり、変わらないものを感じた。その雄大さは自然の大きさと人間がちっぽけであることを、トレイルを歩いている僕らに教えてくれた。途中、野生動物にも出会ったが休憩所の近くで多く見かけられたので、多分心無い観光客が餌をあげてしまっているのだろうなと少し悲しくなった。
道が凍っていたことや出発の時間が遅くなってしまったこともあり、中腹までしか降れなかったが本当に気持ちの良いトレイルだった。帰りは水分補給をこまめにしながらサクサクと登っていく。ちなみに、この写真の水が赤いのはスポーツドリンクの粉をとかしてあるからである。味は…うーん、不味い、もう一杯といった感じ。
降りよりもかなり早く帰ることできた。しかし、体は疲れた。グランドキャニオンパーク内でお土産を吟味し、スーパーで冷凍食品を買って夕食をとる。
ちなみに、今のところまでの食事は全てキャンピングカー(モーターホーム)内での自炊。初日に1週間分の食料を買ってしまっていたしね。もう1泊のグランドキャニオンRVパーク。RVパークの受付の陽気なおっちゃんにグランドキャニオンの魅力にとりつかれちまったようだな的なことを言われる。
■ 5日め 少し落ち着いてきたドライブとおいしいご飯
朝寝坊しながらおはよう。今日はデザートビューに向かった。このとき、気が抜けていたのか、少しモーターホームをこする。デザートビューには遺跡のような建物があり、壁画があった。
これはいったいいつ描かれたものなのだろう。また、一緒に旅していたメンバーがおみやげやで会計を済ました後にサンキューと言ったら、レジのおっちゃんにダンディ坂野のようなポーズ゙と共に「Very Welcome!!!!」と言われ、とても喜んでいた。そのポーズは日本に戻ってから私の持ちギャグになったことは言うまでもない(あまりウケなかった)。アメリカに来る前はアメリカ人にこわいイメージがあったが、そのイメージは勘違いだったみたいだなと思うようになってきた。
その後は久しぶりのドライブ。風が気持ちよかった。真っ青な空にはたくさんの飛行機雲。アメリカの主要な交通手段として飛行機が挙げられることがうなずける。広い国だなぁ、アメリカ。給油もおてのもの。ガソリンがなくなるとこわいのでこまめに給油。
昼ご飯は初めての外食、マクドナルド!注文は英語が早口すぎてほとんどわからなかった。ミディアムとラージ゙を聞かれていることがかろうじて分かったくらい。しかし、一人めに注文したメンバーは残念ながらラージサイズを頼んでしまい、信じられないサイズのドリンクを飲んでいた。アメリカのマックは飲み物は自分でカップに注ぐのです。
この日はアンテロープ観光を目標としていたのだが、15時くらいに着いた時点で本日のツアーは終了してしまっていた。仕方ないということで、昨夜予約したワーウィープのRVパークへ移動。ここはでっかいダムによってできた人工湖でリゾート地であった。このダムができて水が貯まるまで13年間もかかったそうだ!スケールでかい!
ワーウィープでは場所によって携帯の電波が入る地点があり、メールの問い合わせや日本へゆっくり電話。たくさんメールがきていた。ゆっくり電話できて心が穏やかになった。サムさんもわざわざ、電話をくれた。優しい人である。
夜はインスタントのリゾットを食べる。この時点でものすごい日本食が恋しくなっていた。久々の米に舌鼓、味は濃かったが。
このあたりでは野ウサギも見られました。余裕があったら釣りでもしたかったなぁ。この先の旅の予定を話し合うが、やはりブライスキャニオンには行きたいという総意。
しかし、この時期、ブライスキャニオンは雪のため入ることすらできないかもしれないとの記述が、地球の歩き方に記されていた。事前の下調べがなかったことが痛手に。もっと下調べしてくれば良かったと強く思った。話し合った結果、明日、サムさんに連絡をとって確認してもらうことにした。
■ 6日め アンテロープに懐かしのSPEED降臨、せず!
朝、早起きしてホースシューベントへ出発。少し肌寒い朝だった。ホースシューベントは意外にも迫力があった。テンションあがっていっぱい記念撮影。
運良く晴れだったのでアンテロープへ。イケメンの原住民に連れられてバギーに乗って観光。いろんな撮影スポットがあったりしてすごく楽しめた。かの有名な光の筋は夏にしか濃く見られないようですが、またまた運良く綺麗に見ることができました。一見の価値ありなのではないでしょうか。
また、グランドキャニオンやアンテロープはSPEEDのPVに使われているところで、それと同じ映像を撮ろうと思っていたんですが、グランドキャニオンではいろいろあってすっかり忘れていたので、アンテロープで撮影を試みる。が、観光客が多すぎたり、恥ずかしがったりで結局とれず。あと、イケメンガイドさんがいろいろ説明してくれていたのですが、英語がほとんど分からず、もっと分かったら楽しいだろうにと思った。
アンテロープを出発する前にサムさんから電話がきて、ブライスキャニオンは普通に入れるとのこと。喜び勇んで、ブライスキャニオンの麓の街までドライブ。快適な道でとても良いドライブだった。しばらく行くとユタ州に入り、さらに時計を一時間ずらす、今度は忘れないように。
携帯電話は頭が良くて自動で更新していた。昨夜、予約していたRVパークに到着!とても雰囲気が良いところだった。おばちゃんが一人で切り盛りしているようで、至るところにそのセンスが光っていた。早めに着いたので外のテーブルでアイスを食べながらのんびり。意外にもこの時間が私はすごく印象に残っている。すごく気持ちが良く、メンバー3人でのんびりといろんなことを話せたので。
また、6日めにしてようやくモーターホームでの旅に慣れてきた感じがあった。せかせかと旅するんじゃなくて、こうやってのんびりと旅するものなんだなぁ。夜ご飯はRVパークの真横にあったピザハットに注文しにいった。アメリカのピザハットでその場で食べれてサラダバーもあるのな。20分間くらいかかるっていうので、洗濯機を回して風呂入ったりして、時間を過ごす。とても綺麗で気持ちが良かった。そしてお待ちかねのおいしい夕食の時間。
ちなみに、その時の車内はこんな感じ。乾燥機もあるんだけど、あいにく小銭の持ち合わせもそこまでなかったので部屋干し。日本の100円均一でロープなどは買ってきていて良かった。
■ 7日め 幻のユタ・プレーリードッグを探せ!
本日は朝からブライスキャニオンに向かった。道路には雪が無くて良かった。まずは案内所でガイドをもらう。また、この靴じゃブライスキャニオンは歩けないとレンジャーに言われたので、ヤックトラックを購入した。
ビューポイントから見たブライスキャニオンは今までに見たどの景色とも違った。す、すごい…!真近で見たいという気持ちから短めのトレイルへ向かう。先ほど購入したヤックトラックを装着。ヤックトラックを装着しただけで前回のグランドキャニオンとは違い、どんどんと進めることができた。グランドキャニオンでも購入すれば良かったと少し後悔。
また、この日は暖かくて雪がとけ始め道がとてもぬかるんでいて、足元がぐちょぐちょだった。いや、ぐちょぐちょなだけだったら良かったのだが、完全に地盤がゆるんでいて、壁などが崩れたりしていた。こ、こわい。実際、歩いているとき何度も石が転がり落ちてきていた。さらには、先に進んでいくとこれより先は土砂崩れによって立ち入り禁止になったと先にトレイルにいっていた人に教えられる。ウォール街までは行きたかったのに…残念。
トレイル中はすれ違う人と短い挨拶を交わすのだが、すれ違う人たちのいく人かは私たちが日本人だと分かるとお悔やみの言葉をかけてくれた。特におばちゃんたち。とても心が温まった。この旅行を通してアメリカの人々への印象が大きく変わっていったなぁ。帰る頃には足元、ドロドロー。
雪どけ水で道路が凍ることを恐れて、夕方くらいにはブライスキャニオンをあとにする。ユタ・プレイリードッグを見たかったのだが、さすがに雪原で探すことができなかった。仕方ないからおみやげやさんでぬいぐるみを買って帰った。
昨日と同じRVパークにて宿泊。よく動いたあとのご飯はおいしい。慣れてくるとモーターホーム内でもこれくらいの料理を作ることができるのだ。
旅もいよいよ終盤。夜に日本での災害のことについてゆっくり話す。海外にいる自分たちから思うこととか帰れるのだろうかとか原発のこととか。戻ったら、今までとは違う環境になっているのかな。状況から浮かないようにしなければ。アメリカの新聞などにも目を通してみた。様々なことを思いながら綺麗な星空を見ておやすみなさい。
■ 8日め 大きい満足感と少し寂しいザイオンの夜
この日はザイオンでトレイルをすることにした。今までは雪道などの山登りや山降りだったが、ザイオンは乾燥した山道や草原のハイキングといった感じ。今までとは違い家族連れなども多く見られた。
案内所のレンジャーのおねぇさんの笑顔がとっても可愛くてキュンとした。ウォッチマンへのトレイルで汗をかく。続いて、エメラルドプールのトレイルへ。ここは水辺のトレイルで風などが気持ちよかった。
また、かなり奥に入っていったところにある絶壁からの大きな滝はものすごい迫力だった。遠くから見ていても水しぶきがとんできて気持ちよかった。
行くまでそこまできつくないので是非行くとよいところだと思う。夏だと気持ち良いのだろうなぁ。川の中をジャブジャブ進んでいくトレイルは水が冷たすぎてできなかった。それでも、満足感による爽快な気分でトレイルを終えて、ザイオンのすぐ近くにあるRVパークに向かう。まだシーズンではないのでガラガラ。
ここまでくるとなんだかどっと疲れがでてきた。そういう訳で給油のついでにエナジードリンクを買う。なんとスタバのコーヒー味!
そうして、洗濯機を回したり荷物を整理したりで、帰るための準備を始める。食材も今日で使い切らなきゃいけないしね。途中、パンや飲み物は買い足したがほとんど一回目の買出しの食材でもってしまうという。ほとんど外食もしなかった。でも、おいしい食生活を送れたからよかったな~。
あ、ペットボトルで売っている牛乳は要注意!完全にプラスチックのにおいがして、全然飲めなかった。けれど1ガロンもあったから、シリアルと一緒にしてなんとかした。今夜でモーターホームで寝るのも最後かぁ、世話になったね。最後の修学旅行のような夜を過ごす。
■ 9日め ラスベガスは一晩じゃ遊び尽くせないでガス!
昨夜、しっかり調べておいたルートを通ってラスベガスへ。やはり、市街に近づいてくると車がかなり増えてくるし、信号も増えてくるし、ハイウェイの分岐も増えてくる。みんなで協力して運転しながら、本日宿泊予定のラスベガス空港横の激安コテージに無事到着。
そこで、メンバーの友達がたまたまラスベガスに留学していて昨日から夏休みということで合流した。コテージに荷物を置いて、その子と一緒にモーターホームを返却しにクルーズアメリカのオフィスへ。借りたあの日からもうこんなに経つのかー。
返却の際の車体チェックが始まった。こすったところとかつっこまれるとおもいきや3分くらいでチェックは終わってザッツオールつって。さすが、アメリカー!
唯一言われたことが「ガソリンが満タンじゃないからその分のお金はもらいます」ってこと。満タンにしなくても良いって借りたときに言われたんですと伝えても、うまく伝わらなかった。そこで留学の友達がちゃんと伝えてくれて事なきを得た。英語、重要。
友達に連れられ、ラスベガスの街へ遊びに行く。まずはお薦めのアジア料理のフォーを高級そうなホテルで食す。これ、知らなきゃ来れないね!メンバーの一人とその友達と別行動をとることにして、男二人で街に繰り出す。
ラスベガス、広い!すごい喧騒!ものすごいスケール!!正直、若干びびってしまった。ホテルにライオンがいるくらいだしね、寝てるけど。
あとこの日は、本当にたまたまセントパトリックスデーというお祭りの日で(途中で知った)街中の人が緑色の服を着てビールをガブガブ飲んで、陽気に騒いでいた。
そんな中、特に緑色の服も着ないで、でもお祭りの雰囲気に馴染もうと緑のビールを飲んだり、ショッピングモールの人形劇を見たりしながら、ラスベガスに揉まれた。夕食には地元の人に評判のステーキハウスに行った。アメリカンステーキにかぶりつくのもこの旅の目標だったのだ!
しかし、お祭りの日だったせいか、まさかの3時間待ちの模様。それではこのあとのショーに間に合わないし、英語がよくできないので交渉もできない…。泣く泣く断念して、ピザを買ってとぼとぼとコテージまで歩いて帰った。車に乗ったアメリカ人に野次をとばされる。
コテージで冷えきったピサを食べた。そのしょっぱかったことったらなかった。再度、英語、重要。男二人で3年後までに英語をマスターして再度、ラスベガスに降り立ち満喫しつくすことを誓った。
その後、シルクドゥソレイユのカーを見に行った。すんごいパフォーマンス。よく練られた構成。会場全体を使った驚きの連続。いいものが観れました。プロってこういうことを言うんだね。
その後、メンバーと留学している友達と合流して4人でスタバへ。ダラダラと話して、刺激と素敵に溢れた夜が更けていった。24時くらいにコテージに戻って、お友達とバイバイ。また、会えますように。
風呂などに入ったり、荷物をまとめたりしている内に一休みしていると3時くらいになっていた。5時に空港にチェックインする必要があったので、コテージを出発することに。近いので歩いていけるだろうと思い、ガラガラと大きなトランクを押して空港を目指したのだが、歩けども歩けども空港の入口にたどり着かない…。1時間ほど歩いたところ、もう無理だとタクシーを拾った。すると、あっという間に空港へ。っていうか車でないと入れないような作りになっていた。
なってこったい。そんなこんななで最後まで締まらない冒険みたいな旅の終わりが近づいてきたのでした。空港にやっとチェックインしたときはヘトヘト。あとは、もう飛行機に乗るだけ。それにしても思い出深いすんばらしい旅だったんじゃない。一緒に旅した二人にお疲れ様とありがとうの記念撮影。イェイ!
★ 終わりに・・・
私は旅の毎日の終わりに必ず日記を書いていました。今、それを見返しながら、この旅行記を書きましたが、興奮や恐怖、感動や恥ずかしさが蘇ってきました。今、社会人になってあの日々は本当の宝物になっていっているような感覚を覚えます。
その日記の最後のページには総括があり、アメリカのスケールに驚きそこで育った人たちもいると知れたことによって思ったことや英語の必要性、また旅の途中で不機嫌になってメンバーにたくさんの迷惑をかけた自分の甘さへの反省が書いてあり、それは今後の私の人生の良い原動力になっていると思います。
現に、会社に入ってからも世界を意識しないと口だけでなく、思うようになりました。そして、日記の最後の文章はこういうものでした。
『旅を支えてくれたトラベルデポの小林さんと現地日本人スタッフのサムさんに感謝。一緒に旅して経験を一緒に噛み締めた2人に心から感謝。さらに、何より、こんな大地震があったのに旅を続けさせてくれた恋人や父さん、母さんに本当に心より感謝を感じます。一生、忘れない。』
うん、一生忘れない。脚色もせず、色褪せもせず、感じたこと全てを。そう思います。
駄文迷文ではありましたが、最後まで読んで下さった方々がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。何か、質問が有りましたら是非聞いてください!若者は若い内から、何も分からないまま旅するのが最高の経験になると思います。
あなたの旅も感動と幸運に溢れた、意義深いものになることを願っています。
それでは。
Copyright (C) Travel Depot,Inc. All rights reserved